母の介護が始まった日|骨折から在宅介護になるまでの8年を正直に書きます

この記事を読んでいるあなたは、もしかして今、誰にも言えない気持ちを抱えていませんか。「しんどい」と言えない、弱音を吐く場所もない。そんな状況にいるなら、この記事を最後まで読んでもらえると嬉しいです。

この記事では、母が最初に骨折した日から在宅介護が始まるまでの流れと、当時の私が知らなかったせいで遠回りしたことを書いています。専門家の解説ではありません。ただ、8年前の自分に読ませたい内容にはなっているはずです。

目次

最初の骨折。あの日から、何かが変わり始めた

7年前、母が大腿骨を骨折しました。

手術とリハビリを経て、なんとか歩けるようにはなった。でも以前のようにはいかない。杖がないと歩けない体になってしまいました。

「年だから仕方ない」「これくらいなら大丈夫」。そう自分に言い聞かせながら、少しずつ母のサポートをするようになっていきました。あの頃はまだ、「介護」という言葉は自分の生活には遠い話だと思っていました。

だから、この1年間、私は何もしませんでした。

介護保険の申請もしていない。地域包括支援センターに相談したこともない。そもそも、そういう窓口があること自体を知りませんでした。

今思えば、ここが最初の分かれ道でした。

二度目の骨折。1ヶ月の安静で、母は歩けなくなった

最初の骨折から約一年後、母が家で尻もちをつき、背骨を圧迫骨折しました。

骨折そのものより怖かった「動かない1ヶ月」

約一ヶ月、トイレ以外はベッドで過ごす生活が続きました。

骨折した以上、安静が必要なのは当然です。私もそう理解していました。でも、その一ヶ月で母の体に起きたことは、私の想像を完全に超えていました。

全身の筋肉が一気に落ち、体重は10キロ減。ベッドから起き上がるのも、家の中を歩くのも、何かにつかまらなければできない状態になってしまいました。

骨折は治りました。でも、歩く力のほうが先に失われていた。

あとで知ったのですが、こういう状態を「廃用症候群」と呼ぶそうです。高齢の方が長く動かずにいると、筋力や体力、心の状態までまとめて低下していく。骨折そのものより、そのあとの「動かない時間」のほうが体を変えてしまうことがある。

私はその言葉を、母が歩けなくなってから初めて知りました。

体重10キロ減。そして、夜眠れなくなった

体だけではありません。

それまで何でも自分でやってきた母が、急に何もできなくなった。その喪失感からか、母は気持ちのほうも大きく落ち込んでいきました。

一番はっきりしたサインは、夜眠れなくなったことでした。

布団に入っても寝つけない。夜中に何度も起きる。日中うとうとして、また夜眠れない。その繰り返しです。眠れない母を見ながら、私も眠れない。夜勤明けの体には、それがこたえました。

この頃から、本格的な介護生活が始まりました。

誰にも言えなかった。完全に孤独だった

介護が始まった頃、一番しんどかったのは身体的な疲れではありませんでした。

「誰にも話せない」という孤独感でした。

職場では言えません。夜勤のある仕事をしながら介護していると知られたくなかったし、弱音を吐くのも嫌だった。友人に話しても、本当の意味ではわかってもらえないと感じていた。弟もいますが、離れて暮らしているので頼れない。

結果、誰にも言えないまま全部抱えていました。夜勤明けに帰宅して、疲れ切った体で母のケアをしながら「これがいつまで続くんだろう」と天井を見つめた夜が、何度あったかわかりません。

いま振り返って、あの時こうすればよかった3つのこと

ここからが、この記事で一番書きたかったことです。

8年経った今だからわかる、「あの時こうしていれば」を3つだけ書きます。もし今、一度目の骨折や、親の体の変化に直面している人がいたら、同じ遠回りをしないでほしいと思っています。

① 一度目の骨折の時点で、地域包括支援センターに行けばよかった

一度目の骨折のあと、母は杖があれば歩けていました。だから「まだ介護じゃない」と思っていた。

でもこれは、順番が逆でした。

地域包括支援センターは、介護が始まってから行く場所ではありません。「まだ介護というほどでもないけど、この先が少し不安」という段階で相談していい窓口です。無料ですし、要介護認定を申請するかどうかもその場で一緒に考えてもらえます。

あの1年間に一度でも顔を出しておけば、二度目の骨折のときに「まず誰に連絡すればいいか」がわかっていたはずです。実際には、私はそこから調べ始めました。母が歩けなくなってから、ゼロから調べ始めたんです。

杖をつき始めたら、それはもう相談していいタイミングです。

② 「安静」の中身を、医師に確認すればよかった

圧迫骨折で安静と言われて、私は文字通り一ヶ月ほとんど動かさずに過ごさせました。

ここは誤解のないように書きますが、自己判断で動かすのは絶対に危険です。骨折の部位や状態によって、動いていい範囲はまったく違います。

私が悔やんでいるのは、そこではありません。「どこまでなら動いていいですか」と、一度も聞かなかったことです。

安静が必要な部位以外は動かしていいのか。ベッドの上でできることはあるのか。リハビリはいつから始められるのか。訪問リハビリという選択肢はあるのか。

聞いていれば、答えが返ってきたはずの質問ばかりです。でも当時の私は、医師の言葉を「何もしないこと」だと受け取って、一ヶ月まるごと止めてしまった。訪問リハビリも、通所リハビリも、何ひとつ入れていませんでした。

「安静にしてください」と言われたら、「その中で、していいことは何ですか」まで聞いてください。 これだけで結果が変わることがあります。

③ 母が眠れなくなったとき、すぐ相談すればよかった

母が夜眠れなくなったとき、私はそれを「落ち込んでいるだけ」と考えました。体が動かなくなったんだから、気持ちも沈むだろう、と。時間が解決すると思っていたんです。

でも実際には、その状態はかなり長く続きました。眠れないから日中も動けない。動かないから体力が戻らない。戻らないから、また落ち込む。悪循環でした。

高齢の方の不眠や気分の落ち込みは、「気持ちの問題」として片づけていいものではありません。主治医に伝えれば診てもらえますし、ケアマネジャーに相談すれば、生活リズムを立て直すためのサービスを提案してもらえることもあります。

親の様子がおかしいと感じたら、「そのうち治る」で様子見しないでください。 私はそこで数ヶ月を失いました。

今も、一緒に前を向いている

あれから7年以上が経ちました。

現在、母はパーキンソン病も患いながら、それでも懸命にリハビリを続けています。弱音を吐きながらも、諦めない母の姿を毎日そばで見ています。

正直、楽になったわけではありません。今も夜勤をしながら、ひとりで介護を続けています。しんどい日も、泣きたい夜も、まだあります。

でも、あの頃よりは少しだけ「やり方」がわかってきました。使えるサービスのこと、気持ちの整理の仕方、制度の活用法。転んで覚えたことが、たくさんあります。

そのあたりは、こちらにまとめています。

同じ気持ちの誰かに届いてほしい

このブログは、あの頃の私と同じ状況にいる誰かに届いてほしくて始めました。

専門家ではありません。ただの40代の会社員で、夜勤をしながら母をひとりでみている人間です。でも、同じ立場だからこそ書けることがあると思っています。

「しんどい」と思っていい。弱音を吐いていい。誰にも言えない気持ちを、ここに吐き出しに来てください。

一緒に乗り越えていきましょう。

もし今、ひとりで抱えている方がいれば、コメントやお問い合わせから声をかけてください。同じ立場として、話を聞かせてください。

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この記事を書いた人

夜勤のある仕事をしながら、パーキンソン病の母を7年ひとりで在宅介護しています。第二種電気工事士。手すりの取り付けやセンサーライトの設置など、自分でやったことも含めて、専門家ではない立場から実際に役に立ったことだけを書いています。

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