この記事を読んでいるあなたは、もしかして今、誰にも言えない気持ちを抱えていませんか。「しんどい」と言えない、弱音を吐く場所もない。そんな状況にいるなら、この記事を最後まで読んでもらえると嬉しいです。
最初の骨折。あの日から、何かが変わり始めた
8年前、母が大腿骨を骨折しました。
手術とリハビリを経て、なんとか歩けるようにはなった。でも以前のようにはいかない。杖がないと歩けない体になってしまいました。
「年だから仕方ない」「これくらいなら大丈夫」。そう自分に言い聞かせながら、少しずつ母のサポートをするようになっていきました。あの頃はまだ、「介護」という言葉は自分の生活には遠い話だと思っていました。
二度目の骨折。そこからすべてが変わった
最初の骨折から約一年後、母が家で尻もちをつき、背骨を圧迫骨折しました。
約一ヶ月、トイレ以外はベッドで過ごす生活が続きました。その間に、母の体は驚くほど変わっていきました。全身の筋肉が一気に落ち、体重は10キロ減。ベッドから起き上がるのも、家の中を歩くのも、何かにつかまらなければできない状態になってしまいました。
体だけではありません。それまで何でも自分でやってきた母が、急に何もできなくなった。その喪失感からか、母は軽い鬱状態になりました。
この頃から、本格的な介護生活が始まりました。
誰にも言えなかった。完全に孤独だった
介護が始まった頃、一番しんどかったのは身体的な疲れではありませんでした。
「誰にも話せない」という孤独感でした。
職場では言えません。夜勤のある仕事をしながら介護していると知られたくなかったし、弱音を吐くのも嫌だった。友人に話しても、本当の意味ではわかってもらえないと感じていた。弟もいるが離れて暮らしているので頼れない。
結果、誰にも言えないまま全部抱えていました。夜勤明けに帰宅して、疲れ切った体で母のケアをしながら「これがいつまで続くんだろう」と天井を見つめた夜が、何度あったかわかりません。
今も、一緒に前を向いている
あれから5年以上が経ちました。
現在、母はパーキンソン病も患いながら、それでも懸命にリハビリを続けています。弱音を吐きながらも、諦めない母の姿を毎日そばで見ています。
正直、楽になったわけではありません。今も夜勤をしながら、ひとりで介護を続けています。しんどい日も、泣きたい夜も、まだあります。
でも、あの頃よりは少しだけ「やり方」がわかってきました。使えるサービスのこと、気持ちの整理の仕方、制度の活用法。転んで覚えたことが、たくさんあります。
同じ気持ちの誰かに届いてほしい
このブログは、あの頃の私と同じ状況にいる誰かに届いてほしくて始めました。
専門家ではありません。ただの40代の会社員で、夜勤をしながら母をひとりでみている人間です。でも、同じ立場だからこそ書けることがあると思っています。
「しんどい」と思っていい。弱音を吐いていい。誰にも言えない気持ちを、ここに吐き出しに来てください。
一緒に乗り越えていきましょう。
もし今、ひとりで抱えている方がいれば、コメントやお問い合わせから声をかけてください。同じ立場として、話を聞きます。

コメント