「なんか最近、足が重いんだよね」
母がそうつぶやいたのが、すべての始まりでした。
その時の私は、まさかこの一言の先にパーキンソン病という診断が待っているとは、想像もしていませんでした。むしろ「むくみのせいかな」くらいにしか思っていなかったのです。
この記事では、母の最初の異変から、いくつもの病院を回り、最終的に神経内科でパーキンソン病と診断されるまでの約2年間を、当時の私の気持ちとともに書き残します。同じように「親の様子がなんだかおかしい」と感じ始めている方の、何かのヒントになればと思っています。
順調だったリハビリが、ある日から伸びなくなった
母は圧迫骨折から少しずつ回復し、週に一回、公園で歩行リハビリをしていました。
最初は10分ほどの歩行から。それが15分、20分、30分と少しずつ伸びていきました。やがて40分まで歩けるようになり、動ける時間が増えていくことが、母自身の自信になっていったのです。距離と時間が伸びるたびに、母は本当に嬉しそうでした。
ところが、それから1年ほど経った頃。少しずつ異変が起き始めました。
まず、どれだけ頑張っても40分から先に伸びなくなったのです。そしてそこから、むしろ距離も時間も短くなっていきました。
母は言いました。「なんか最近、足が重いんだよね」「わからないけど、動かしづらい感じがする」。
私は、母の足がよくむくんでいたので、その延長だろうと思っていました。今思えば、ここが最初のサインだったのです。
努力しても後退していく――母が一番苦しんでいた
それから半年ほど経った頃、歩ける距離と時間が、明らかに短くなりました。
40分歩けていたのが、その頃には半分以下、15分ほどしか足が動かなくなっていたのです。リハビリを始めた最初の頃に、完全に戻ってしまっていました。
私も「明らかにおかしい」と思い始めていましたが、それ以上に参っていたのは母本人でした。
「なぜこんなに努力しているのに、歩けるようにならないの?」 「なぜこんなに頑張っているのに、前より歩けなくなるの?」 「頑張る意味、ある?」 「あんたも、疲れた体で頑張らなくていいよ」
そんな言葉を口にするようになりました。
母の体の中で、何かが起きている。そう感じてはいましたが、それが何なのか、どうしたらいいのか、まったくわからない。とにかくこれ以上後退させるわけにはいかないと、母も私も、ただリハビリを続けていました。
ここで気づいておきたかったこと 「努力しても改善せず、むしろ後退していく」という経過は、加齢や運動不足では説明がつきにくいサインです。パーキンソン病は、動作が遅くなる・歩きにくくなる(動作緩慢)といった症状が、ゆっくり進行していくのが特徴とされています。リハビリの記録(時間・距離)をつけておくと、「明らかに右肩下がり」という変化に早く気づけます。
次に現れたのは「声が出ない」という症状
足の異変と前後して、母は少しずつ声が枯れていきました。
だんだんガラガラ声になり、「声が出しづらい」と言うようになったのです。なぜそうなるのかわからないまま、月を追うごとに声が出なくなっていくことに違和感を覚え、私は母を耳鼻咽喉科に連れていきました。
検査の結果は、声帯に異常なし。
母にはこの頃「ふらつく」症状もあったため、先生に相談すると、脳のMRIも撮ったほうがいいとのことでした。MRIも受けましたが、こちらも異常なし。
原因がわからないまま、数ヶ月が過ぎました。声は以前よりも、さらに出なくなっていました。少しの会話でも声が掠れ、咳き込む。母にとって、声が出ないことは本当に辛かったようです。
「話したいのに、声が出ないから喋りたくなくなる。できないことが、どんどん増えていく」
そう口にする母を見て、私は別の病院の耳鼻咽喉科を探すことにしました。同じ診断で止まっているわけにはいかない。もう一度、違う目で診てもらおう。そういう気持ちでした。
「いくつもの科を回ってしまう」のはよくあること パーキンソン病は、足の動かしにくさ、声の変化、ふらつきなど、一見バラバラに見える症状で現れることがあります。そのため整形外科・耳鼻咽喉科・内科などを回り、なかなか診断にたどり着かないケースは珍しくありません。最終的な診断は**神経内科(脳神経内科)**で行われることが多いので、原因がはっきりしない症状が続く場合は、神経内科の受診も選択肢に入れてみてください。
「何か病気が隠れているかもしれません」――リハビリの先生の一言
新しく見つけた総合病院の耳鼻咽喉科。けれど、診断は以前と同じ「声帯に異常なし」でした。
その病院で、声帯のリハビリをしていくことになりました。
最初のリハビリの日、担当してくださった先生が「気になることは、なんでも聞いてくださいね」と言ってくれました。それで母は、最近ふらつくこと、足が動かしづらいことを、何気なく話したのです。
それを聞いたリハビリの先生は、少し表情を変えてこう言いました。
「何か、病気が隠れているかもしれません」
そして、院内の神経内科を受診するよう勧めてくれました。
今振り返っても、この先生の一言がなければ、私たちはもっと長く回り道をしていたと思います。何気ない会話を拾ってくれたこの瞬間が、診断への入り口でした。
神経内科での診断――そして突きつけられた「もう一つの病気」
そこから、神経内科に6回ほど通院しました。
これまでの経過を詳しく伝え、ドーパミンの検査を2回、脳のMRIも行いました。そして先生から告げられたのは――
「パーキンソン病であることは、間違いありません」
ただ、先生の話には続きがありました。
「パーキンソン病の中にも、薬がわりと効くものと、まったく効かないものがあります」
薬がまったく効かないタイプ。それは「多系統萎縮症」という病気でした。多系統萎縮症の場合、進行のスピードが非常に速く、1年後には車椅子生活、2年後には自発呼吸も厳しくなるかもしれない。そして、どちらなのかは、今後6ヶ月ほどの経過でわかってくる、と。
その話を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になりました。
帰り道の車の中で、母はぽつりと言いました。 「薬が効かない病気だったら、どうする?」 「もう、どうしたらいいかわからない」
そう言って、遠い目をしていました。
あの時もし、薬の効かない病気だと言われていたら。私はたぶん、仕事を辞めてでも母のそばにいたと思います。それが正しいかどうかはわかりません。ただ、そうしたかった。
母の命が「有限」だと、初めて実感した日
私はその時、初めて母の命が有限であることを、実感しました。
「もしかしたら1年後には、一緒に公園でリハビリもできないかもしれない」。そう思うと、心が本当に苦しくなりました。
母の命に期限があるかもしれないと知ったとき、これまで育ててくれたこと、母との思い出、感謝の気持ちが、走馬灯のように蘇ってくる。そんな毎日を過ごしていました。
人は、命の終わりを悟ると、当たり前のことが特別に感じられ、当たり前のことに感謝できるようになる。あの時期、私はそれを身をもって知りました。
そして――パーキンソン病と診断されてから1年。
母は、多系統萎縮症ではないことがわかりました。
その時の私の心は、とても言葉にできません。
ただ、これを書きながら思い出すのは、今この瞬間も、多系統萎縮症と診断され、ご家族と日々を重ねている方がいるということです。病名が何であれ、その人とその家族の時間が、かけがえのないものであることに変わりはありません。そのことだけは、忘れずにいたいと思っています。
おわりに|「なんだかおかしい」を見逃さないでほしい
今振り返ると、最初のサインは「足が重い」「リハビリが伸びなくなった」という、見過ごしてしまいそうな小さな変化でした。
もしあなたが今、ご家族の様子に「なんだかおかしいな」と感じているなら、その違和感を大切にしてほしいと思います。むくみや加齢のせいだと片付ける前に、できれば症状の記録を残し、原因がはっきりしないときは神経内科の受診も考えてみてください。
診断までの道のりは、不安で、長く感じるものです。私自身、何度も「これでいいのか」と迷いました。それでも、一つひとつ確かめていったことが、母の今につながっています。
このブログでは、診断のその先――運動症状とのつき合い方、便秘や頻尿といった見落としがちな症状、食事や薬のこと、そして使える制度まで、実際の介護の日々を書いています。「これから何に気をつければいいんだろう」という方は、まずこちらのまとめ記事から読んでみてください。
同じ立場の方にとって、少しでも支えになればと思っています。
※この記事は私自身の体験に基づくものです。症状や診断には個人差がありますので、気になる症状がある場合は医療機関にご相談ください。

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