在宅介護に、もう疲れた。しんどい。そう感じているあなたに、まず伝えたいことがあります。
介護を続けるコツは、「もっと頑張ること」ではありませんでした。むしろ逆で、いろんなことを「やめる」ことでした。
私は15年以上、夜勤をしながら母の在宅介護を続けています。この記事では、その中で私が手放してきた10のことを、正直に書いていきます。読み終えたとき、あなたの肩の力が少しでも抜けたなら嬉しいです。
その前に少しだけ、かつての私がどれだけ追い詰められていたか、聞いてもらえますか。
まず、誰に相談すればいいのかさえ、分からなかった
母の介護が始まったとき、私を最初に襲ったのは「これからどうしよう」という具体的な悩みではありませんでした。
そもそも、誰に相談すればいいのかが分からない。
その手前で立ち尽くしていました。
当時の私はまだ30代後半。同年代の友人たちは、親もまだ元気で、介護なんて遠い世界の話でした。だから打ち明けても、ぴんとこない。「大変だね」とは言ってくれるけれど、その先がない。悪気がないのは分かっているからこそ、だんだん話せなくなっていきました。
気づけば私は、大きな問題を一人で抱えて、手探りで戦っていました。
まるで、霧の中を歩いているようでした。一歩先が見えない。どこに向かえばいいのかも分からない。それなのに、立ち止まることだけは許されない。
一人だけ、世界から取り残されたような感覚でした。
自分の一挙手一投足が、母の未来を決めてしまう
何よりも私を苦しめたのは、この感覚でした。
自分の選択ひとつで、母のこれからの生活の質が変わってしまう。寿命さえも左右してしまうかもしれない。
だから、少しでも良い方向へ。一手も間違えられない。頭の中は、朝から晩まで母の介護のことでいっぱいでした。
母の未来が、そのまま私の未来になる。
そんな重さを、ずっと背負っていました。それなのに、どう手を打てばいいのかは分からない。不安の上に、また別の不安が積み重なっていく。出口の見えないトンネルを、ずっと歩かされているようでした。
リハビリできない「たった4日間」が、こわかった
その重圧は、私の生活そのものを変えていきました。
たとえば、たまに友人と出かける日。本来なら楽しいはずの時間に、私はこんなことを考えていました。
「今日出かけなければ、公園でリハビリができたのにな」 「次にリハビリできる日は雨の予報だ。今日出かけてしまうと、4日間もリハビリができなくなる」
たった4日間。でも、その4日で母の歩行能力は落ちてしまう。歩けなくなれば、生活の質が下がる。母も私も、もっと大変になる。結局、自分で自分の首を絞めることになる――。
そう考えると、もう出かけるどころではありませんでした。
こうして私は、プライベートの時間を、ほとんどすべて手放していきました。自分の人生が、少しずつ介護の中に溶けて消えていく。そんな日々でした。
ある日、ふっと、肩の力が抜けた
転機は、劇的な出来事ではありませんでした。ただ、ある考えが、すとんと腑に落ちた瞬間がありました。
――母の人生のすべての責任を、私一人が背負う必要はない。 ――母の介護を、私一人で完璧にやりきる必要もない。
母には母の人生があり、私には私の人生がある。
そして、私は今、できることを一生懸命にやっている。これは、まぎれもない事実だ。
たとえこの先どんな結果になったとしても、「今できる最善を尽くしている」という今この瞬間こそが、私に出せる最高の答えなんだ。
そう思えたとき、ずっと張りつめていた心が、ふっとほどけました。
霧が晴れたわけではありません。母の病気が治ったわけでもない。でも、私を縛りつけていたものの正体が、やっと分かった気がしたのです。
そして私は、少しずつ「やめる」ことを始めました。頑張ることではなく、手放すこと。それが、この介護を続けていくための、私なりの方法になっていったのです。
私が「やめた」10のこと
ここからは、私が実際に手放してきたことを、具体的に書いていきます。
どれも、頑張ることをやめた話です。でも、それは決して「手抜き」ではありませんでした。続けるために、必要な選択でした。
1. 母の人生の全責任を、背負うのをやめた
これが、すべての出発点でした。
母がこの先どうなるのか。その責任を、私一人で背負わなければと思い込んでいました。でも、母には母の人生があり、私には私の人生がある。
今できることを、一生懸命やる。それ以上は、背負わなくていい。そう決めただけで、肩にのしかかっていた重さが、半分くらいになった気がしました。
2. 「サボると母の機能が落ちる」という強迫観念を、手放した
以前の私は、リハビリできない日が続くことが怖くてたまりませんでした。
「今日出かけたら4日間リハビリできない。歩行能力が落ちてしまう」。そう考えて、自分の時間をすべて削っていました。
でも、本当に怖かったのは、その強迫観念が、母にも無理を強いていたことです。
母の体調がすぐれない日でも、私は言っていました。「公園行くよ」「声出しのリハビリやるよ」。それでも動こうとしない母に、私はこう言ってしまったことがあります。
「サボったら、どんどん弱って、寝たきりになっちゃうよ」
母を思って言った言葉のはずでした。でも、その言葉に母は追い詰められ、ついにこう言ったのです。
「もう頑張らなくていい。寝たきりでも、なんでもいい」
その一言を聞いたとき、私は自分が何をしていたのかに気づきました。良くしようと必死になるあまり、母から「頑張る気力」そのものを奪っていた。母を守るどころか、母を追い込んでいたんです。
人間は、1日休んだくらいで壊れません。それより、母と私の心が壊れてしまうことのほうが、よほど怖い。
完璧を目指すのをやめたら、母にも私にも、ようやく余白ができました。
3. 一人で抱え込むのを、やめた
これは、私にとって一番大きな転機だったかもしれません。
介護を始めたころの私は、誰にも言えずにいました。会社にも、同僚にも、隠していた。弱みを見せたくなかったし、迷惑をかけたくなかったんです。
でも、隠している間がいちばん苦しかった。
あるときから、私は「ありのまま話す」と決めました。職場で介護をしていることを、隠さず伝える。人事異動のときは、真っ先に「介護をしています」と言うようにしています。
すると、不思議と楽になりました。自分が行かなくてもいい会議や残業を、断りやすくなった。「事情がある人」として見てもらえるだけで、こんなにも違うのかと驚きました。
それから、離れて住む弟夫婦にも、今の状況をきちんと話すようにしました。「何かあったときは頼む」。そう伝えておくだけで、心が本当に軽くなったんです。
実際に頼るかどうかは、関係ありません。一人じゃないと思えること。それ自体が、孤独だった私を救ってくれました。
このときの「打ち明けるまでの葛藤」と「話してみて変わったこと」は、別の記事に詳しく書きました。
4. 夜勤明けに無理をするのを、やめた
私は15年以上、夜勤をしながら介護を続けてきました。
夜勤明けの体は、思っている以上にボロボロです。それでも昔は「帰ったらすぐ介護」と、自分にむちを打っていました。でも、それを続けていたら、先に私が潰れていたと思います。
夜勤明けの過ごし方を変えてから、体も心もずいぶん楽になりました。これは別の記事で詳しく書いています。
5. 完璧な食事作りを、やめた
毎日の食事は、介護の中でも特に重くのしかかってくるものでした。
仕事があって、夜勤もあって、その上で母の食事を毎日考える。料理は嫌いじゃないけれど、毎日となると話は別です。
ある日、「全部手作りしなくてもいいんじゃないか」と思えました。宅配弁当に頼る日があってもいい。タンパク質はプロテインで補ってもいい。
そう決めたら、食事作りのプレッシャーがぐっと減りました。浮いた時間と気力を、母と過ごす時間にまわせるようになったんです。
実際に私がどんな宅配弁当を選んだか、母が続けられたプロテインについては、こちらで詳しく書いています。


6. 家事を背負い込むのを、やめた
掃除も洗濯も、機械に任せられるものは任せることにしました。
ロボット掃除機なんて要らないと思っていた私が、今では手放せなくなっています。洗濯も、衣類乾燥機を使うようになってから、いちばん嫌いだった「干す作業」から解放されました。
家事に使っていた時間と体力は、有限です。それを介護と自分の休息にまわす。そう割り切りました。
どのロボット掃除機を選んだか、衣類乾燥機で洗濯がどれだけ楽になったかは、こちらで詳しく書いています。

7. 母に我慢させる介護を、やめた
「暑くないよ、我慢して」。昔の私は、そんなふうに母に言っていました。
なぜ我慢させていたのか。正直に言えば、お金の心配でした。
母は一日中家にいるので、エアコンをつければ電気代がかさみます。私自身、介護のために残業を減らしていたので、手取りも減っていました。その不安が、つい母への「我慢して」につながっていたんです。
でも、あるとき気づきました。電気代を惜しんで母の体を危険にさらすなんて、本末転倒だと。
熱中症は、命に関わります。お金の不安よりも、母が健康で快適に毎日を過ごせること。そちらを優先すると決めました。エアコンは我慢せずつける。水分はこまめに摂らせる。
守るべきものの順番を、間違えないようにしたんです。
夏の介護で特に気をつけたいエアコンと水分補給については、こちらで詳しく書いています。

8. 「相談したら迷惑」という思い込みを、やめた
制度のことを何も知らず、3万円を損したことがあります。
介護保険で買えるものを、定価で買ってしまった。知っていれば、9割が戻ってきたのに。
それ以来、「分からないことは、遠慮せず相談する」と決めました。知っているか知らないかだけで、お金も労力も、こんなに変わるのだと痛感したからです。
介護保険サービスを知らずに3万円損した詳しい話については、こちらです。
9. 弱音を吐いてはいけない、という思い込みをやめた
「しんどい」と言ってはいけない。そう思っていた時期がありました。
でも、しんどいときに「しんどい」と言える場所がないことのほうが、ずっと危ない。私はこのブログを書くことで、その弱音を吐く場所を見つけました。
同じ境遇の誰かに届けばいい。そう思って書いています。
10. 先のことを考えて、不安になるのをやめた
介護をしていると、未来のことを考えて、どうしようもなく不安になる夜があります。
この先、母はどうなるんだろう。私はいつまで続けられるんだろう。
でも、あるとき気づきました。先のことをいくら不安に思っても、答えは出ない。考えれば考えるほど、ただ苦しくなるだけだと。
だから私は、不安はその辺に置いておくことにしました。
消そうとしなくていい。なくならなくていい。ただ、隣に置いたまま、今日できることをやる。それくらいでちょうどいいんです。
おわりに
ここに書いた10のことは、どれも「頑張るのをやめた」話です。
でも、やめることは、逃げることではありません。続けるための、前向きな選択です。
今、霧の中にいるあなたへ。全部を背負わなくて、大丈夫。一人で抱えなくて、大丈夫。
今できることを、一生懸命にやっている。それだけで、あなたはもう十分やっています。


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